2022年になって
「毎日、ホームページのコラムを更新するぞー」とか
facebookに書いてしまったが、早速、マイニチなんて書けないのである。
(それでもよくがんばってるわ、私)。
それよりも、「がんばらない&反省しない」とノートに書いてみたら、
めちゃくちゃしっくりきた。
「がんばらない」ははっきりいって、もうここ12年くらいの課題なのだ。
12年前、息子を産んだ年、私はめちゃくちゃにがんばった。
でもそのことを、ずっと反省してきた。
そしてそれ以来もうずっとがんばってきた。
それをもう、全部とっぱらいたいのである。
***
12年前の12月、息子はこの世に生まれてすぐに呼吸ができずNICUに入り、
その後のスクリーニング検査にもいろいろ引っ掛かった。
生きた心地がしなかった。
(その2年後に生まれた娘はもっとたいへんだったから、今から思えば ”たいしたことはなかった” とも言えるのだけど、それも医療の発達と医療従事者のみんさんのおかげでしかない。つまりありがたいしかない)
ともあれ、息子である。
ようやく自宅に戻れてほっとしたと思ったら、
乳児湿疹かとおもった「プツ」があっというまに顔・体中に広がって、
乳、小麦、卵その他の食物アレルギーと判明するまで、
象のようにヒフがただれた状態にあった。
さらにまた検査にひっかかった。
かゆかったり痛かったりしたんだろう。
乳幼児期の息子はもう、めちゃくちゃによく泣いた。大声で。
とにかく家でもなくし、外でも泣くし、ベビーカーに乗せたら「落ちるでほんま」というくらい暴れた。夜は夜で、それはよく泣いた。
夫が夜な夜な、散歩をさせて寝かしつけてくれた。
両家の祖父母も目を丸くして泣き声に驚いた。
スーパーで息子が泣いて焦っていたら、よぼよぼのおばあさんが近づいてきて
「この子はええぞ、肺を鍛えておる」と言われて、ありがたくて私が泣いた。
私は、アレルギーについて勉強して、食事療法(自分の乳のカイゼンのため)を教えてくれる病院を探しだして通い、無い乳を絞り、大泣きくんをいつも抱っこしてあやした。
・スーパーに行く歌
・お月さまと追いかけっこをする歌
・お風呂でお母さんと見つめ合う歌
・眠れない夜に切なさをのりこえる歌
息子のおかげで、シンガーソングライター並にたくさんの曲を作った。
2年後に娘を産むときは息も絶え絶え(大げさ…)ずっと入院しながら、8ヶ月で小さな小さな娘を産んだ。この子は生きられるのかと思うと、死にそうだった。
でもがんばるしかない。奇跡的に娘はすくすくと育ってくれた。
妹が産まれると、息子はさらに泣いた。そりゃそうだよね。さみしいよね。
つらいよね。でもお母さんもつらい!
喋れるようになったら「あんたほんまに2歳か?」というくらい絶妙に憎たらしい言葉を吐いた(いや、賢い子なのだ)。
声がでかくて主張が強くて大飯食らいで体力があるのは、12歳になっても変わらない。
息子の強烈な愛すべき個性だ。
私はそれがわからなくて、息子に泣かれる度にダメ出しを食らってる気がして、必死だった。産後すぐに仕事に戻り、育児雑誌を作りながら、仕事をしながら育児を学んで、家に帰って子どもたちに向き合って、また仕事をした。
なんとか自分であろうとして。
***
ああ、しんど。
このここまで書くだけでドット疲れた。
読んでいるあなたもきっと疲れているはず(ここまで読んでくれてたらすごい)。
でもきっと、すべての親は多かれ少なかれ、みんなこんな思いをしてるのだろう。
身を粉にしてがんばって、自分を失いながら再構築していかなくちゃいけない
部分もあるんだろう。それが子育てなんだろう。
でも、12年たって、ああ、もういいか〜という気持ちなのだ。
すごくがんばってきた。子育ても仕事も。
それなのに、たくさん反省してきたよなぁ。
なんで?
ぜんぜんいいんじゃない?と。
すごくがんばってきたことも、えらかったよね〜って思えばいいんじゃない?
だけど、もうがんばりすぎないで、普通にやればいいんじゃない?
やりたいことをやりたいようにやればいいんじゃない?
できないことは、できませ〜んと他の人にわたせばいいんじゃない?
なんでも上手にしようたって、自分以上のものはできない。
失敗をしないでいようたって、そんなことは誰にもできない。
誰かの手を借りて、もう大きくなった子どもたちの手も借りて、
せっかく大切に育てた命を、誇らしく思いながら
彼らの人生を眺めるのを楽しめばいいんじゃない?
私の命も誇らしく思いながら、人生を楽しめばいいんじゃない?
***
と、そう思ったのである。ふと。
だから、がんばらない&反省しないが2022年のテーマなのは、
ものすごくしっくりきているのであーる。