「バチあたんでっ」と祖母がいう

子どもの頃、お正月(西暦のほう)は大晦日から
父方の祖母の家に行くのが習わしだった。

激込みで一歩も進めない黒門市場で、たっかい、ふぐを買い
ふぐほどでなくても、たっかい正月野菜やかまぼこを買い
祖母が忙しそうに黒豆を炊くのを手伝った(正しくは眺めていた)。

「黒豆には釘をいれていっしょに炊いたらええねん」と祖母はいつも言った。

しかもさびた釘。さび鉄をいれると黒々とするらしいが、なぜだろう。

その正月の黒豆のために、私と兄は毎月一回必ず祖母と訪れる墓参りで
じゃりのなかからさびた釘を探すことを命じられ、
白や灰色の石に混じって落ちている小さくて細い釘を見つけだすことに
夢中になった。いや、よく思い出せば夢中にはなってなくて

「なんで釘ひろわなあかんねん」とちょっと思っていたけど、
兄と競争すれば、なんでも少したのしいものだ。

釘ではないなにかネジのようなものも、その墓地周辺には落ちていたのだけど
(なぜだろう。)ネジをみつけて祖母にみせると

「これは、あかん」といわれ、釘だけを祖母は大事そうに袋にいれてしまった。

祖母はよく「そんなんしたらバチあたんでっ!」と言った。

バチとはもちろん「罰」のことだが、「罰が下りますよ」といわれたらぞっとするが、

「バチあたんでっ!」と言われると、そこまで怖くないが、逆に身近で「ほんま」感があった。

実際に何か良くないことをしたせいでバチがあたったことが
あったかどうか思い出せないけれど、
大人になった今でも、怠けたり意地悪な気持ちを抱いたりすると
「やば。バチあたるわ・・・」と思ってしまう。

祖母に会うたびに「バチあたんで」と言われるものだから、
いつしか私は、悪いことをしたらバチあたるかも、と脳内で自動変換する癖がついた。
どこかで神様、いや「神さん」
(祖母は神道系のとある「神さん」をめちゃくちゃ信じていた」)が
ずっと私をみていて、ちょっとでも悪いことをしたら、
なんかバチをあててくるのではないかと。

実際、大きな「バチ」が私に当たったことは、まだない、気がする。

もちろん色々辛いことはこれまでの人生にあった。
好きな人に振られるとか、試験に落ちるとか、
なんとなく仲間はずれになるとか、大震災に遭うとか、
就職が決まらないとか、
恋人と喧嘩するとか、大切な人を亡くすとか。

しかし……それはバチじゃなくて日常だ。

そもそも、私はそんなにバチがあたると言われるほど、
悪いことを日々するような子どもではなかったし、
「そんなんしたら」と祖母に言われたことの「そんなん」が
なんだったのかも、覚えていないし、思い出せない。

熱心にお墓の前で手を合わせる祖母をまねて
まったく意味が理解できていない祝詞(のりと)を
そらで唱えられるようになっていた。
いつも忙しそうな祖母のお手伝いもよくした。

それなのにバチを怖がって生きていくのは、なんか損、だ。

「今日は飴ちゃんの代わりにええもん、あげる。
いっちゃん、ええもんや」と、ある日、祖母が言った。

幼い私はなにかすごいモノ(物)がもらえると思ってワクワクした。

「大人でも嬉しいもん?」
「そりゃ、大人でも誰でも嬉しいで」
「えー、なんやろ、ええもんって」

祖母は、そのひんやりした手をそっと、
私の頭に置いた。

驚いて、ビクッとした私の頭を、祖母は優しく撫でた。

長く商売を(水商売を)営んでいた祖母は、どこか威厳があって、近づきがたい人だったから、

祖母に頭をなでられると、嬉しいというより、恐縮して身体が縮こまった。

「ええもんて、これ?」

私は恐る恐るきいた。

「そやで。撫でられるのが誰でもいっちゃん嬉しいやろ?」と祖母は満足気に言った。

小さな私には、わかったようなわからなかったような。
「飴ちゃんの方が、いいで」と思ったような気もする。

でも、今の私がそのシーンを思い出すたび、胸が痛くなる。
会ったこともない、幼かった祖母の頭を、
誰かの代わりになでなでしてあげたかったような、
そんな気持ちが沸き起こる。