保育園児のときはぷりぷりまあるい顔をして
踊って笑ってジャンプして
高い木があれば登っていって、
どちらかというと天真爛漫だった娘。
小学校に入ってからは、少しずつ少しずつ元気が薄れていったとかいたのは前回のこと。
3、4年生になる頃には、朝起きるとため息をつき
足を引きずるように学校に行き、
帰宅するなりHPゼロ状態でソファに倒れ込むようになった。
教育系のライターとして仕事をしている私は
これまでいくつもの不登校や行き渋りの親子へのインタビューや
オルタナティブな学校への取材を行ってきていた。
学校に行かせることが大事なんじゃない、
その子が自分らしくいられる場所を取りもどすこと。
必要であれば学校とも相談して、その子のペースで回復するのを待てばいい。
それはもう定説のように思っていたし、
私も夫も無理に学校に行かせたいわけではなかった。
でも、娘の元気を取りもどすのにどこがいちばん心地いい場所なのかがわからなくなった。
遅刻したり、早退したり、休んだりしても
娘が元気になるわけじゃない。
むしろ、どこか後ろめたい気持ちでしょんぼりとしているようにも見えた。
だんだん、家で母娘ふたりでいると、お互いのざわざわした気持ちが
いや〜な感じで共鳴し合っているのを感じるようにもなってしまった。
「お母さんは、お仕事もあるのに、忙しいのにごめんね」
「娘をいちばんに優先したいけど、頭のすみでいつも仕事のこと考えてしまってる…」
「お母さんをお手伝いして楽にしてあげよう」
「あれ、娘に気を使わせてしまってるな〜」
「娘に笑顔がもどってほしいな」
「お母さん、最近笑ってないかも?」
人への共感力が高いことはHSP、HSCの特徴の主たるもので、それは全く悪いことではないけど、
共感しすぎると、自分と相手との境目がなくなってしまう。
それはお互いにとってつらいことなんだ、と私は身にしみて感じるようになった。
あれ、あれ、あれ。
これじゃ家が娘にとって心地よい場所になりようがない。
自分を取りもどすことなんてできないんじゃないの?
娘を大切に思う気持ちがあるからこそ、少し距離をとって他の人に頼っていかなくては、とおもうようになった。
つづく……